禁煙三年目
ついにこの日を迎えることができました。
2010年3月7日の日曜朝。確か前日に欲しかった時計を購入し気分が良く、
「なんだか今日は、タバコやめられそう」と思ってから三年が経ちました。
翌日の月曜から一週間は、まるで生き地獄のようでしたが、禁煙のサイトを
観ながら自分を励ましたり、ひたすら何かを磨いて手持無沙汰を忘れるよう
努力したり、梅昆布をしゃぶって誤魔化したりと、ありとあらゆる手段を用いて
辛い期間を脱しました。
確か以前に閲覧した禁煙サイトでは、三年経って初めて卒煙というような
ことが書かれていたと思いますが、三年先という未来が、気の遠くなるような
将来のことにしか思えなかったことを、昨日のように記憶しています。
最初の一週間は日本語で文章を書くことが辛くて仕方なく、もう文章は一生
書けなくなるような絶望感でいっぱいの時期もありましたが、何とか社会復帰
できたのが嘘のようでもあります。
とりあえず今夜くらいは、己の弱さに打ち勝った自分に祝杯をあげてもバチは
当たらないと思います。
ただし来月から娘が塾に通うため、貧乏な我が家において、次は禁酒という
苦行にチェレンジせねばならないかもしれず、いつまでどこまで頑張らなくては
ならないのか、更なる絶望の闇が迫りつつある今日この頃でもあります。
2010年3月7日の日曜朝。確か前日に欲しかった時計を購入し気分が良く、
「なんだか今日は、タバコやめられそう」と思ってから三年が経ちました。
翌日の月曜から一週間は、まるで生き地獄のようでしたが、禁煙のサイトを
観ながら自分を励ましたり、ひたすら何かを磨いて手持無沙汰を忘れるよう
努力したり、梅昆布をしゃぶって誤魔化したりと、ありとあらゆる手段を用いて
辛い期間を脱しました。
確か以前に閲覧した禁煙サイトでは、三年経って初めて卒煙というような
ことが書かれていたと思いますが、三年先という未来が、気の遠くなるような
将来のことにしか思えなかったことを、昨日のように記憶しています。
最初の一週間は日本語で文章を書くことが辛くて仕方なく、もう文章は一生
書けなくなるような絶望感でいっぱいの時期もありましたが、何とか社会復帰
できたのが嘘のようでもあります。
とりあえず今夜くらいは、己の弱さに打ち勝った自分に祝杯をあげてもバチは
当たらないと思います。
ただし来月から娘が塾に通うため、貧乏な我が家において、次は禁酒という
苦行にチェレンジせねばならないかもしれず、いつまでどこまで頑張らなくては
ならないのか、更なる絶望の闇が迫りつつある今日この頃でもあります。
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